りょーたの趣味ログ

海外旅行、占い、小説 アラサーの趣味日記

仕事辞めて東南アジア縦断旅行してみる

 

 

はじめに

 仕事を辞めてしまった。新卒2年目も半ばにして、すでに2社退職済み。流石にまともに雇ってくれる会社もなさそうである。絶望の最中、一室を引き払って実家に帰り、ポチポチとゲームをやっていた。Mobile Legends というインドネシアの会社が作ったゲームだ。そしてふと思った、

インドネシアってどんなとこなんだろう。」

 気づけば私はジャカルタ行きの片道の旅券を買っていた。。

飛行機にて

 Air AsiaというLCCを使って、日本からクアラルンプール(マレーシア)まで7h、そこからトランジットで2h、はるばる赤道付近の都市、ジャカルタにやってきた。10月も半ばであるが、気温は31℃、湿度はまずまずである。日本の夏と比べれば圧倒的に過ごしやすく、東京がいかに暑くて過ごしづらいかがよく分かる。

マレーシアの空港で見つけたウォーターサーバー。紙コップが三角

 なんの計画も無しに片道の飛行機と初日の宿だけ取ってやってきた。そういうのは現地の空気を吸ってから考えるのが良い。ジャカルタスカルノ・ハッタ国際空港に到着し、電車のターミナルを探す。どうやらこちらの方角にあるが、目の前にはブンブン車が通る大通りしかなく、歩いていけそうもない。迷いながら途方に暮れていると、流しのバイクタクシーのおじさんが話しかけてくる。こういうのは高そうだから基本敬遠。適当に断って迷うこと5分ほど、やっぱり駅への行き方がわからない。すると、先ほどのおじさんが「For free. Just help you !!」と行って話しかけてくる。まぁ、お金取られたらそれでいいかと思い、おじさんの後ろに乗る。1分で駅に到着し、ありがとうと言うと、どういたしましてと言って本当にお金は取られなかった。ありがとうおじさん。

スカルノハッタ国際空港。駅と空港はモノレールで繋がっているらしい。
今回はおじさんが助けてくれた。



電車にて

 特急電車的なものに乗ってマンガライ駅まで56分、そこから本日の宿泊先、コタ地区まで30分弱。前者は「~ライナー」的な位置付けで、後者は私鉄。私鉄の内装はあまりにも見覚えがあり、日本と同じ会社が作ってるんじゃないかと思ったほどだ。合計で1,000円ほどの移動費。私鉄に関しては、日本のSuica的なカードを作り、チャージして使う。駅に着くたび女性のアナウンスの冒頭で「ハティ ハティ モナカ」と言っている。なんの意味かは分からないが、ごきげんよう的な枕詞だろう。言い方が可愛いので悪い気はしない。

 また、ジャカルタ都市部に近づくにつれ、駅舎の周りにスラムのような見た目の古民家が大量に出現し始めた。線路上には親子やおじさんが闊歩し、線路脇でトウガラシを干している。民家はトタンでできた壁やボロボロのコンクリート、もし普通の民家だったのなら申し訳ないが、東京に住んでいる人間が見たらスラムと思うかもしれない。

私鉄の内装。日本の私鉄かと思った

インドネシア私鉄版のSuica。購入は基本現金ゆえ、カード使えなくてATMを探し回った。
ジャカルタ・コタ

 目的地のジャカルタ・コタ駅に到着。今回泊まったのはWonderland hostelという、旅人向けのホステル。一部屋8個のベットが用意され、蜂の巣みたいに一つ一つが区切られている。布団や設備は至って清潔で、先ほどの駅周りの風景を忘れてしまう。着いたのは午後2時。フライトが日付を回る頃に出発したのもあり、まともな睡眠が取れていなかったので、ベットに横になるなり、すぐに眠ってしまった…

 起きたのは19時頃。コタ・トゥア地区は治安があまりよくないらしいが、お腹が空いたのでそうも言っていられない。ホステルから出て適当に街を散策する。観光地ということもあり、露店がたくさん立ち並び、ストリートミュージシャンの姿も見える。歌っているのはポップスやレゲエっぽいバンド曲などだった。子供も普通に歩き回っており、メキシコに比べれば治安は良いのだろう。露店の後ろにはレジャーシートが敷かれ、そこに椅子を置いて食べるらしいが、虫刺されをまだ買っていないので、蚊に刺されるのが怖い。一応屋根がちゃんとある、大衆食堂らしきお店で食べることにした。

 インドネシアの料理は美味いと聞いていたが、具体的に何があるのかは知らない。とりあえず名前を聞いたことのある「ナシゴレン」を注文してみる。観光地ということもあるのだろうけど、ベトナムと比べて英語が通じやすく、話せる店員さんが多いように思える。

 人生初、ナシゴレンとご対面。チャーハンの上に蒸し鶏が乗っている。チャーハンほど脂っこくはない。味は適度にコクと辛味が効いており、非常に美味しい。ベトナムはどの料理もナンプラーが効いていてエスニック色が強かったが、ナシゴレンはそういった独特の臭みもなく、日本人なら万人ウケする味なように思う。横には生のきゅうりとトマト、せんべい的なものが乗っている。屋台での生食は避けた方が賢明だが、ノリで食べてみる。味は全然問題ない、というか美味しい。食中毒になったら、そのときはそのときである。まだ一食目なのでこれから他の料理も食べる予定だが、食事が楽しみである。

ナシゴレン。270円だった。美味い

 

 さて、明日からどうするか。夜のコタを散策しながらふと脳裏に浮かんだのは、陸路でユーラシアに渡りたいということだ。来る途中に少しググったが、どうやらスマトラ島(インドネシア) からマレーシア行きのフェリーが出ているらしい。そして、昨年の夏にベトナムホーチミンに行ったときに楽しかったので、今度はハノイに行きたいと思っていた。そして唐突に、陸路を使って東南アジアを縦断し、ハノイに行ってみようと思った。明日からはスマトラ島を陸路で目指して旅をすることに決めた。口座の残高はさして多くない。そんなに長い期間をこちらで過ごすことも難しいだろうから、短期決戦気味でいく。観光もほどほどにして、明日は午前中から移動を開始しようと思う。

 

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初海外でまさかのメキシコでボランティアする話(後編)

前回に引き続き、初めて海外に行ったときの話をしていきますよー

 

 

-サン・クリストバル・デ・ラス・カサスでの生活(続き)-

 水道は整備されているが、おそらく硬水なので飲むことはできない。「アグアー、アグアー」というやかましい放送をしながら街を回る業者から、10Lなどの大ボトルを買い、それを飲み水として使う。なんの消毒液を使っているのか、かなり独特な匂いはするが慣れれば飲めなくはない。トイレも水洗だが、水圧が低いためペーパーを流すことができない。「大」をしたあとで使ったペーパーは、トイレの横に置いてあるサニタリーボックスに入れる。トイレに行くときはもちろん息を止める。

 市場に行けば、ドリアンや生肉がもたらす独特の匂いがする。サンクリストの周囲は山々に囲まれており、200以上の原住民族が暮らしているという。出稼ぎのために毎日朝の4時くらいから市場に店を拡げ始める。彼らが売るのは特産品の革製品や編み物、野菜や肉などである。平気で豚の顔や皮を剥いだ雄鶏がぶら下がっている...

 私も現地で可愛らしいポーチを買い、いまだに外貨入れとして使っている。存外に頑丈で、下手な財布よりよほど良い。

駅前の市場で買ったポーチ。編み込みがしっかりしてて頑丈

 

 

 ダリーが街を案内してくれる。街には転々と教会があり、聖母マリアが祀られている。スペイン人が植民地として街を占領した時に、マリアへの信仰心を持たせて侵略しやすくしたと、ダリーは説明してくれた。ディズニーはピクサーの「リメンバー・ミー」を見たことがあるだろうか。街並みはまさにあのイメージで、大きくて目がギラついた野良犬が街を闊歩し、建物の間には小さな旗がかかっている。服装に関しては、派手な服を着ていても問題はないが、チアパスは普通のユニクロ的なカジュアルを着ている人が多かった。もしくは山間民族の独特の衣装。車通りが活発で、道が狭いので常に誰かがクラクションを鳴らしている。

市場のお店をパシャリ。毎朝お店を開き、終業するとこれらをしまう。

 

-2週間で見えた光と闇-

 ボランティア活動として、いくつかの学校を転々として回る。授業内容は、「ひらがな・カタカタ」、「折り紙」がメイン。メキシコはスペイン語公用語で、アルファベットしか見たことがない子供ばかり。特にうねうねした「ひらがな」に興味深々で、自分の名前をひらがなでノートに書いて、自慢げに見せてくれる子もいた。子供らしく溌剌として、素直な子が多かった印象だ。

 しかし、そんな学校を囲む壁は3mほどあり、まるで刑務所のようだった。チアパス州は治安が良いとはいえ子供の誘拐は多く、被害から守るために学校の壁は高く、乗り越え防止のトゲがてっぺんについていた。また、学校は毎日13時くらいから始まる。子供達は午前中、家業の手伝いで働いている。一次産業品(野菜・果物など)と、それを簡単に加工した手芸品がメインの経済活動ゆえ、チアパスに住む彼らは観光客や街の住人に商品を売ることで生計を立てている。子供達は午前の時間を使って、観光客の哀れみの気持ちを引き出して商品を売っている。また、ダリーに念を押されたことがある。現地の子供とはあまり物理的に接触するな、ということだ。これは、子供達の頭にシラミがついているからだ。

 学校を転々とする中で、山間部族の一つにお邪魔して授業をやってみようという話になった。道ともいえないような道を1時間ほど蛇行、揺られすぎて吐き気が限界に到達した頃、ようやく到着。スペイン語すら話さない、原住民族の集落の中に、コンクリートでできた屋根と大きい体育館。彼らはお礼を言う時に必ず握手をする文化があり、子供たちは折り紙を折ったり名前を教えたりする度に列を作り、握手をしに来てくれた。あっという間に昼になり、メキシコの郷土料理「モレ」を振る舞ってくれた。「モレ」はチョコレートソースで煮込んだ骨つき肉の料理。

 さあ、午後の授業を始めようと思っていた矢先、通訳をしてくれていた人から、突然「帰ってくれ」と言われる。なんでも、昨日部族の仲間が帰宅中に襲われ殺されたので、午後はその仇討ちに隣の集落を攻撃しに行くとのこと... (そういえば朝から子供を見守っていた男たちが、トランシーバーで誰かとずっと交信していたような。)

 

 

-おわりに-

 あっという間の2週間。現地のクラブで踊ってみたり、メキシコ原産のコロナビールを飲んでみたり、色々な人と出会い、人生初めての体験ばかりをした。あのとき勇気を出して飛び込んだからこそ、今ふらっと海外旅行に行くようになったと言える。最近、大きな理由や大病があったわけではないのだが、圧倒的に精神が落ち込んでいて辛かった。久しぶりに楽しかった思い出を振り返って、またこんなふうにワクワクすることがあればいいなと、前向きになるきっかけにもなれた。いつかまたメキシコに行きたいと思う。

 

 

 

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初海外でまさかのメキシコでボランティアする話(前編)

初めて海外に行った時のことを、前後半に分けて綴ってみようと思う。

 

 

 

 

-そこの若いの、海外へ行け-

「若いときに海外に行っておいた方がいい」

 もう何年も前の話だが、両親の勧めで大学生のときに一人旅をした。親戚がアメリカに住んでいたので、そこを訪れるのと、何を血迷ったのかついでにメキシコに行ってみようと思った。

 一人で飛行機に乗ったことすらないので、ネットで色々調べてみる。外務省のメキシコ危険区域情報を開いてみると、こんな時事ニュースが出てきた。

「車で信号待ちをしていた日本人の家族が、突如銃撃され死傷する事件が発生しました。

 注意してください。」

 やばいじゃないかメキシコ...

 流石に一人は心細いから、ボランティアにでも参加してみることにする。いくつか出たNPO法人の中から一つを選び、説明会に参加してみる。ボランティアの内容は、メキシコ南部のチアパス州サン・クリストバル・デ・ラス・カサス という場所で、現地の子供たちに日本文化を伝える授業を行うこと。授業の内容もあらかじめ決められているものではなく、ボランティアメンバーと一緒に考えながら行うというものだった。雰囲気も良いし、外務省のHPだとチアパス州は平和そうだし、Googleマップで現地に飛んでみたら、空は青いし。ココに決めたぜっ。

サン・クリストバル・デ・ラス・カサスの空。青いでしょ?

 

 パスポートの申請、旅券の発行、荷造りをしていざロサンゼルスへ。人生初の機内食に感動。10時間以上の長旅を終え、親戚の家に数泊してから移動しやすいバックパックだけ持ってメキシコに飛ぶ。ロスの空港からメキシコシティまで3時間ほど。そこからトランジットでトゥストラ グティエレス空港へ1時間ほど。

 人生初の機内食〜美味しくてびっくり

 

Googleマップさんから拝借。メキシコの結構南の方でした。

-いざメキシコへ-

 サンクリストデバルラスカサスは高山地帯。標高は平均して2,000mほどなので、富士山を中伏まで登ったくらいのところに常にいることになる。つまり、ホットなイメージのメキシコだけど、ここはすごく涼しい。空気も美味しい。海外旅行で気になるのは宿のトコジラミだが、高山地帯のためその心配もなし。チアパス州の中では有名な観光地なので、田舎とはいえど駅前はしっかり発展している。治安も割と良い。

 シャトルバスに乗って空港から街まで確か40分くらい揺られて、ボランティアメンバーの方が駅まで迎えに来てくれた。

どこの写真か忘れたけど、駅の周りはこんなふうに旗がかけられてて、家もおしゃれー

 

 現地では、ボランティアパートナーとしてダリー(仮)が同行してくれた。彼は英語が話せるので、こちらもカタコトながら意思疎通は取れる。メキシコ人らしい陽気な男で、日がな我々のような外国人をボランティアハウスに受け入れながらNPO活動費を賄っており、プラスの生活費はバーやレストランで歌を歌って、お店から給料をもらっている。奥さんと可愛らしい息子がおり、息子くんはポケモンが好き。機嫌はいつも良くて、町中の人から慕われるちょっとした有名人だった。(同行中に自転車を盗まれた時は流石にブチ切れて、「Fu⚫︎kin’ city!!」的なことを叫んでいた。その数日後に悲報を聞いた彼の友人が自転車を譲ってくれたらしく、嬉しそうに「もらったぜ!」と言っていた。メキシコはそういう類の盗難は多いそうだ。)

 

-サン・クリストバル・デ・ラス・カサスでの生活-

 スペイン語で「おはよう」は「Buenos Dias」、「こんにちは」は「Buenas tardes」だ。ブエノスディアス、ブエナスタルデス。現地を歩いていると、全然関係ない屋台のおばちゃんやすれ違う人がみんなこの挨拶をしてくれる。満遍の笑顔で。

 私は旅の醍醐味としていかに安く美味いものをたくさん食べるか、を考えるのが好きだが、メキシコはそれに最適。当時のレートでは 1メキシコペソ = 6円 程度だったが、日本に数店舗あるタコスチェーン「TACO BELL」さながらの肉々しいタコスが、屋台で1つたったの8ペソで食べられる。日本円に換算すれば実に50円程度。大きさは直径がiPhone程度なので、4枚も食べればお腹が膨れる。日本やアメリカで食べられるタコスと違うところは、まず、生地のトルティーヤは小麦ではなくトウモロコシの粉でできているので、独特の香りがある。実はこれがキモで、肉やパクチーに抜群に合う。また、多少フライパンで焼くがパリッとはしておらず、薄いナンのイメージに近い。具はさまざまな種類があり、代表的なのはチョリソー、チキン など。挑戦はしなかったが、鳥の脳みそなどもあった。肉とパクチー、タマネギ、チリソースなどを入れて食べる。アメリカのタコスはワカモレソースもポピュラーだが、現地ではお目に掛からなかった。チリソースも赤と緑の二種類があるが、緑の方が数段辛い。食べることに夢中で、写真撮り忘れてたらしい...

 ダリーが教えてくれた夕食の中に、豆や野菜をトルティーヤのパイで包み、豆由来のソースをかけて食べる料理があった。2つでたったの10ペソ。海外旅行あるあるで、初日にこの料理を紹介してもらい食べた時は、日本料理との違いで吐きそうになったが、3日目に挑戦したらすっかり慣れて、かなり美味しいと感じるように。人間ってすごいね。

ダリーが教えてくれた「タコ」と言う料理。豆と野菜がメインで、なんとたったの60円。

 

後編に続きます

 

 

 

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